旧ドイツ領全史

旧領土スタディーズ 1
「国民史」において分断されてきた「境界地域」を読み解く

衣笠太朗(著/文)
ISBN 978-4-908468-44-5
C0022 A5判 464頁
価格 3,630円 税込 (本体3,300円+税)
書店発売日 2020年8月10日

 

 

紹介

そこはなぜドイツになり、そしてなぜドイツではなくなったのか?

周辺各国の地理・歴史だけでなく、多文化主義・地域統合
安全保障・複合国家論・国民国家論・エスニシティ等
あらゆる現代社会科学の研究テーマに波及する

●カラーで紋章・旗・歴史観光ガイド ●膨大な量のドイツ時代の古写真
●時代ごとの境界・国境変遷地図 ●現統治国言語名とドイツ名を必ず併記

■オストプロイセン 歴代君主の戴冠地ケーニヒスベルクを擁すプロイセンの中核
■ヴェストプロイセン ポーランド分割後にプロイセンと一体化させられた係争地
■シュレージエン ピァスト朝・ハプスブルクを経て、工業化を果たした言語境界地域
■ポーゼン プロイセンによって「ドイツ化」の対象となった「ポーランド揺籃の地」
■ヒンターポンメルン スウェーデン支配を経て保守派の牙城となったバルト海の要衝
■北シュレースヴィヒ 普墺戦争からドイツ統一、デンマーク国民国家化への足掛かり
■エルザス=ロートリンゲン 独仏対立の舞台から和解の象徴、欧州連合の中心地に
■オイペン・マルメディ ベルギーの中のドイツ語共同体と、線路で分断された飛び地
◦カシューブ人、ルール・ポーランド人、オーバーシュレージエン独立運動などマニアックなコラムも

目次

はじめに 2
「分断された歴史叙述」─なぜ今、旧ドイツ領なのか 2
地理概念について 5
本書の構成 5

目次 7
地名表記と地図について 14
凡例 16
旗・紋章 17

歴史観光ガイド 20
オストプロイセン 20
ヴェストプロイセン 28
シュレージエン 36
ポーゼン 44
ヒンターポンメルン 48
北シュレースヴィヒ 54
エルザス=ロートリンゲン 60
オイペン・マルメディ 68

序章 「旧ドイツ領」史概観 73
中・東ヨーロッパにおける国家形成(9-12世紀頃) 74
ポーランド=リトアニアの台頭と宗教改革(13-16世紀) 75
ポーランド=リトアニア共和国の展開と三十年戦争(16-17世紀) 78
ポーランド分割と中・東ヨーロッパの再編(18世紀) 79
ウィーン体制と1848・49年革命(19世紀前半) 83
ドイツ統一(1871-1914年) 85
第一次世界大戦下の中・東ヨーロッパ(1914-1918年) 88
第一次世界大戦の戦後処理・領土問題(1918-1924年頃) 89
戦間期の中・東ヨーロッパ(1918-1933年) 91
ナチ・ドイツと第二次世界大戦(1933-1945年) 95
第二次世界大戦末期の避難と戦後の領土変更にともなう「追放」・「送還」(1945-1950年頃) 99
戦後の中・東ヨーロッパ(1945-1991年頃) 102

第1章 オストプロイセン 歴代君主の戴冠地ケーニヒスベルクを擁すプロイセンの中核 107
ドイツ領となるまで 111
・プルーセン族 111
・ドイツ騎士団の到来と移住政策 113
・プロイセン諸身分とホーエンツォラーン家の対立 116
・プロイセン王国の成立 117
・ナポレオンによる占領 120
・近代オストプロイセンの住民と言語 121
ドイツ領の中のオストプロイセン 124
・帝政下の言語政策 124
・政治・経済 126
・第一次世界大戦 127
・アレンシュタインでの住民投票とメーメルの分離 128
・戦間期の苦境 131
・第二次世界大戦とオストプロイセン 134
・オストプロイセンからの避難 137
その後 140
・ソ連領カリーニングラード州 140
・ポーランド領ヴァルミア・マズーリィ地域 143
テーマ史 146
・「ゲルマン対スラヴ」─騎士団・東方移住の評価と東方研究 146
・「ゲルマン対スラヴ」─2つのタンネンベルク 148
・アルベルトゥス大学ケーニヒスベルクと「ケーニヒスベルクの世紀」 150
著名出身者 152

第2章 ヴェストプロイセン ポーランド分割後にプロイセンと一体化させられた係争地 157
ドイツ領となるまで 161
・十三年戦争と王領プロイセンの成立 161
・王領プロイセンの展開 162
・共和国の没落と第一次ポーランド分割 164
・プロイセン王国領ヴェストプロイセン 167
・ナポレオンによる占領と「自由国家」ダンツィヒ 168
・19世紀前半のヴェストプロイセン 170
ドイツ領の中のヴェストプロイセン 172
・ドイツ帝国におけるヴェストプロイセン 172
・「ポーランド回廊」と「自由市」ダンツィヒの承認 174
その後 176
・自由市ダンツィヒ 176
・第二次世界大戦の勃発とダンツィヒ=ヴェストプロイセン大管区 179
・第二次世界大戦後の「ヴェストプロイセン」 183
テーマ史 187
・ 「ヴェストプロイセン」における言語的少数派カシューブ人 187
著名出身者 189

第3章 シュレージエン ピァスト朝・ハプスブルクを経て、工業化を果たした言語境界地域 195
ドイツ領となるまで 199
・シロンスク・ピァスト家 199
・モンゴル軍の襲来と東方移住の開始 201
・ボヘミア王国の下での繁栄 203
・ハプスブルク家・宗教改革・三十年戦争 203
・シュレージエン戦争 207
・フリードリヒ2世の改革 209
・ナポレオン戦争とウィーン会議 211
・シュレージエンにおけるドイツ民族主義の登場と展開 213
・工業化の時代 214
・19世紀シュレージエンの言語状況 215
ドイツ領の中のシュレージエン 218
・文化闘争とポーランド民族運動の興隆 218
・第一次世界大戦期のシュレージエン 219
・オーバーシュレージエン問題と住民投票 221
・ヴァイマル共和国とポーランド共和国の狭間で 226
・ナチ期のシュレージエン 229
・第二次世界大戦 231
・シュレージエンからの避難と追放・送還 234
その後 237
・「ピァストの地域」 237
テーマ史 240
・シロンスクの世界遺産 240
・ ブンツラウ陶器はなぜボレスワヴィエツ陶器(ポーランド陶器)になったのか 244
・オーバーシュレージエンでの独立運動と集団的帰属意識 246
著名出身者 248

第4章 ポーゼン プロイセンによって「ドイツ化」の対象となった「ポーランド揺籃の地」 255
ドイツ領となるまで 259
・ピァスト朝黎明の地「ヴィエルコポルスカ」 259
・ヴィエルコポルスカ公領─束の間の独立 260
・ポーランド王冠への統合 262
・ポーランド黄金時代のポズナニ県・カリシュ県・イノヴロツワフ県 264
・第二次ポーランド分割によるヴィエルコポルスカの割譲 267
・プロイセン領ポーゼン州の成立とポーランド人問題の浮上 269
・1848年革命とポーゼン州におけるポーランド人問題 271
ドイツ領の中のポーゼン 273
・ビスマルクによるポーゼン州のポーランド人問題への対応 273
・第一次世界大戦と戦後のヴィエルコポルスカ蜂起 275
その後 279
・ポーランドの戦間期とその破局 279
・第二次世界大戦における「ヴァルテラント大管区」 282
・戦後のヴィエルコポルスカ周辺地域 284
テーマ史 287
・ルール・ポーランド人 287
・第二次世界大戦期の「民族ドイツ人」入植政策 290
著名出身者 292

第5章 ヒンターポンメルン スウェーデン支配を経て保守派の牙城となったバルト海の要衝 297
ドイツ領となるまで 301
・ポモラニアの黎明 301
・ポモージェ公領の成立と展開 302
・東方移住による人口動態・社会構造の変化 303
・ポンメルンにおける宗教改革 304
・スウェーデンによる占領とポンメルン公領の分割 305
・プロイセンによるヒンターポンメルンの再統合 308
・ナポレオン戦争とウィーン会議 309
・プロイセン領ポンメルン州と1848年革命 311
ドイツ領の中のヒンターポンメルン 314
・帝政期のポンメルン 314
・ヴァイマル期─保守派の牙城 316
・ナチ期と第二次世界大戦 319
・ポンメルンにおけるドイツ人の避難 321
その後の「ヒンターポンメルン」 323
・「ステティンからトリエステまで」─ポーランド領シュチェチン県の誕生 323
・シュチェチンと戦後ポーランド 325
テーマ史 327
・スウェーデン領ポンメルン 327
・フルトン演説におけるシュチェチンの位置 329
著名出身者 331

第6章 北シュレースヴィヒ 普墺戦争からドイツ統一、デンマーク国民国家への足掛かり 335
ドイツ領となるまで 339
・スレースヴィの黎明 339
・スレースヴィ公領の成立とシャウエンブルク家の台頭 341
・分割されるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン 343
・宗教改革の波及と三十年戦争 344
・近代スレースヴィの言語状況 345
・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン(南ユラン)問題 347
・1848年革命と第一次スレースヴィ戦争 350
・ヘールスタートの挫折と第二次シュレースヴィヒ戦争 352
ドイツ領の中のシュレースヴィヒ 356
・ドイツ帝国における北シュレースヴィヒ問題 356
・第一次世界大戦下のシュレースヴィヒと戦後の住民投票 359
その後 365
・戦間期の民族問題 365
・第二次世界大戦と戦後 366
テーマ史 369
・デンマークとスカンディナヴィア主義 369
・デュブル砦の戦い 371
・著名出身者 373

第7章 エルザス=ロートリンゲン 独仏対立の舞台から和解の象徴、欧州連合の中心地に 377
ドイツ領となるまで 381
・キリスト教の浸透と神聖ローマ帝国による支配 381
・三十年戦争による荒廃とフランスへの併合 383
・フランス王国領「アルザス州」 387
・フランス革命以後のフランス領アルザスとロレーヌ 389
ドイツ領の中のエルザス=ロートリンゲン 392
・普仏戦争の帰結とドイツ帝政下のエルザス=ロートリンゲン 396
・第一次世界大戦とエルザス=ロートリンゲンの行方 396
その後 401
・戦間期におけるアルザス・ロレーヌのフランス化と自治運動 401
・第二次世界大戦 402
・第二次世界大戦後のアルザス・ロレーヌ 405
テーマ史 408
・アルザスとロレーヌの言語 408
・ エルザス=ロートリンゲン邦国・共和国構想 410
著名出身者 412

第8章 オイペン・マルメディ周辺地域 ベルギーの中のドイツ語共同体と、線路で分断された飛び地 419
ドイツ領となるまで 423
・ガリア族の支配地域と大修道院領 423
・中近世のオイペン 425
・フランスによる支配とウィーン会議 426
ドイツ領の中のオイペン・マルメディ 429
・オイペン・マルメディでの言語政策とフェン鉄道の開通 429
・第一次世界大戦とパリ講和会議でのオイペン・マルメディ帰属問題 431
・国際連盟による暫定統治と住民調査 432
その後 436
テーマ史 439
・ベルギーのドイツ語共同体 439
・ワロン語(方言)の歴史と標準化への取り組み 440
著名出身者 441

参考文献・ウェブサイト一覧 442
索引 459
あとがき 462

前書きなど

はじめに

「分断された歴史叙述」─なぜ今、旧ドイツ領なのか
本書は、「旧ドイツ領」を、「1871年に成立するドイツ帝国以来の〈ドイツ統一国家〉に属したが、そののちにその領域から切り離された諸地域」と定義する。ドイツ帝政期の行政区分で言えば、旧ドイツ領はオストプロイセン、ヴェストプロイセン、シュレージエン、ポーゼン、ヒンターポンメルンという5つの東部領土、およびエルザス=ロートリンゲン、北シュレースヴィヒ、オイペン・マルメディという3つの西部領土、計8つの地域から構成される。このうち、ヴェストプロイセン、ポーゼン、エルザス=ロートリンゲン、北シュレースヴィヒ、オイペン・マルメディの大部分は第一次世界大戦後に、残りのオストプロイセン、シュレージエン、ヒンターポンメルンの大部分は第二次世界大戦後にドイツからそれぞれ分離した地域である。
これまでの研究や歴史本では、この旧ドイツ領の各地域の歴史は分断され、細切れの形で断片的に紹介されてきた。一例として筆者の本来の専門であるシュレージエン(PLシロンスク)史を見てみると、日本の高校世界史Bで最もよく使われている山川出版社の教科書においてはこの地域についての言及が主に二度ある。ひとつは1241年にモンゴル軍が中欧連合軍を撃破したワールシュタットの戦いであり、もうひとつはハプスブルクとプロイセンがこの地域の支配権を争ったシュレージエン戦争(1740-1763年)である。高校世界史の教科書だけでなく、ヨーロッパ史についてのより専門的な概説書などにおいても同じである。当然、この2つの事象に関する記述から中世から現代に至るまでのシュレージエンという地域が歩んだ歴史の全体像を想起することは難しいだろう。実はドイツやポーランドの歴史叙述においてもこれはほとんど同様の状況である。シュレージエンの地域史は、中世後期にはピァスト朝ポーランドの領土としてポーランド史の、近世に入るとハプスブルクやブランデンブルク=プロイセンの領土としてオーストリア史やドイツ史の歴史書や研究に登場し、近代では一貫してプロイセン王国とドイツ国家の枠組みの中で語られる。そして戦後にシュレージエンは再びポーランド領となるため、今度はポーランド史の歴史記述に含まれるようになるのである。
この「分断された歴史叙述」の克服は、本書で扱う8つの旧ドイツ領地域のいずれにも該当する本書のメインテーマとも言える課題である。この問題点は、主に「国民史」と「境界地域」という相互に密接に関係する2つの歴史認識の枠組みの狭間で育まれてきた。
「国民史 national history」とはすなわち、現在の国民国家を構成している「国民」(英語ではnation)を主たる参照軸にして歴史を描こうとする営みのことだ。この歴史観のもとでは、現在の国民概念(例えばドイツ人、ポーランド人、フランス人)が普遍で自明のものとされる傾向があり、それゆえに過去の同じ地域であったり、似たような言語を用いたりしていた人々を彼らの「国民史」の中に組み入れてしまっている。しかしながら、現在の人文社会科学では、「国民」が少なくとも近世以降の歴史的過程とは無関係に、そして普遍的かつ自明に存在しているという理解(本質主義と呼ばれる)は根底から否定されている。「国民」という集団そのものが、それは近代ヨーロッパにおいて作り上げられたフィクションであることが明らかにされているのだ[最も代表的な研究としてアンダーソン 1997=2007;ゲルナー 2000;ジマー 2009を参照]。「ドイツ人」「ポーランド人」「フランス人」も、基本的には早くとも18世紀後半以降の歴史的展開の中で構築されたものなのである。しかし一般の歴史理解において依然として採用されている「国民史」の中では、主役は総じて国家の首都やその主たる領域と考えられる場所に住む人々、もしくは政府の要人であり、国家辺境の「境界地域」はその歴史叙述の脇役を担うに留まっている。
この「境界地域 borderland」とは、本書においては、単に国境地域を意味するだけではない。これは、もちろん政治的な境界(国境)を内包もしくはそれに隣接しながらも、言語や帰属意識、宗派などの面で内的な、もしくは隣接地域との分断を有する地域のことである。国民史において想定される国家は、様々な面で理想的かつ均質な領域や人間集団を念頭に置いており、その主たる記述対象は必然的に言語的・宗派的に多様で、かつ他国と近接している境界地域ではありえなかった。そして旧ドイツ領の諸地域は、この「境界地域」の定義にピタリとあてはまるのである。例えば、エルザス=ロートリンゲン(FRアルザス・ロレーヌ)は、長らく神聖ローマ帝国とフランス王国、プロイセン=ドイツとフランスの政治的境界に位置しており、言語的にもフランス語・アルザス語・ロレーヌ語・ドイツ語の混在地域、宗派的にもカトリック的フランスとプロテスタント的ドイツの中間地点に位置する地域であった。
ここまで来れば、なぜ旧ドイツ領諸地域の歴史叙述が分断されてきたのか理解できるだろう。一言でまとめれば、「国民史」という歴史認識の中では、旧ドイツ領の諸地域はそれぞれの国民国家の「国民」概念に合致する歴史を部分的にしか持たないために、その叙述において分断されてきたのである。
こうした歴史叙述のあり方を反省した取り組みが無いわけではない。1970年代には西ドイツとポーランドの間で共通教科書を作る専門家会議が定期的に開催され、1976年には歴史と地理についての教科書勧告を出している[近藤 1998]。また21世紀に入ってからは、同様にドイツとフランスの間で共通教科書を執筆する動きが加速し、2006年にその第1巻が出版されている(日本語版は2016年刊)。しかしこれらの教科書勧告や共通教科書は、ドイツとその近隣諸国との歴史認識上の和解を主題としたものであり、関係国間で相互の歴史理解を尊重しようとする試みである。それゆえに、本書がテーマとするような地域史はやはり捨象されてしまっている。
本書は旧ドイツ領が「いかにドイツであったか」を論証するものではない。むしろこれらの地域が「いかに多様な歴史的地層から形成されているか」を明らかにし、しかしそれでもなお「なぜドイツになったのか」、そして「なぜドイツでなくなったのか」ということを一般読者に向けて解説しようとする書物である。これまで国民史の中で分断されてきた「旧ドイツ領」の地域史を、それぞれの独自の「物語」の中に置きなおすことで、とりわけ中・東ヨーロッパ史に関する新たな歴史叙述のあり方を模索するものでもある。このような「旧ドイツ領」に関する取り組みが、いまようやく可能になりつつあると言えるだろう。
本書は、上で説明したような国民史という問題性を考慮して、1871年に創設されたドイツ帝国から現代のドイツ連邦共和国に連なる国家群のみを「ドイツ国家」とみなす。中近世のドイツ騎士団や神聖ローマ帝国、ブランデンブルク=プロイセンを「ドイツ国家」の範疇に入れる歴史理解も当然考えられるが、ここではそのような立場はとらないこととする。ちなみに、1990年に旧ドイツ東部領土のポーランド併合が最終的に承認されたという事実はあるものの、それは形式的な側面が強く、実質的には1946年以後にドイツが喪失した領土はない。また、同じくドイツ語圏であるルクセンブルクやリヒテンシュタイン、ハプスブルク君主国の一部地域や東欧・ロシアの諸地域(言語島と呼ばれるドイツ語地域が多数存在した)、およびドイツの海外植民地については、それだけで新たに一冊の本がかけるほどの大きなテーマであろうし、「ドイツ国家」の定義から外れるために、本書では扱わなかった(なお、ドイツの海外植民地の概要については栗原久定『ドイツ植民地研究』(パブリブ、2018年)という好著があるので、そちらを参照されたい)。そして戦間期と第二次世界大戦後に一時的にドイツ統治下から外れたザールラントに関しても言及していない。さらに言えば、ナチ・ドイツが1938年以降に領有したヨーロッパ東部の諸地域についても、その統治・占領期間の短さと統治の実態、領有の不法性および「旧ドイツ領」と呼称することの不当性などを考慮して、本書の対象外としている。それゆえに「旧ドイツ領」とは、「1871年から1937年までの時期にドイツ国家に属していたが、いずれかの時期にドイツ国家から分離したまま現在まで至っている領土」のこととなる。

地理概念について
本書は「旧ドイツ領」という言葉を用いている。この用語から想起されるのは、本書で扱う様々な地域が「ドイツであった」ということであり、中立性や客観性の面で問題があるという指摘は免れないだろう。それでもこの言葉を用いているのは、逆説的ではあるが「旧ドイツ領」という枠組みで歴史を語ることに意味があると筆者は考えているからだ。これらの地域には、「かつてドイツ国家の領域内に位置していた」という以外に共通点がほとんどなく、それぞれが個別の歴史を持った地域である。それらの地域を一冊の中で紹介し、中・東ヨーロッパにおける境界地域の歴史の諸相を知ってもらい、かつそれぞれの「国民史」を境界地域の側から眺めてみることで、読者はこれまでのドイツ史やフランス史、ポーランド史を扱った歴史本にはあまりなかった独自の視点を見出すことができるかもしれない。
各章のタイトルになっている「オストプロイセン」や「エルザス=ロートリンゲン」といった地名は、全てドイツ語の地名表記に準拠している。「旧ドイツ領」を主題とした書籍であるので仕方ない面もあるが、それでも章題の直後に現在用いられている地名を併記することで地域名称に関する政治的偏りを中和しようと試みた。また、各地域内の地名や都市名については、初出時にドイツ名とそれ以外の名称(ポーランド名、フランス名、デンマーク名など)を併記することで対応している。ドイツ領時代はドイツ名、それ以外の時代にはそれぞれの名称で、という方法も考えたが、それでは上記の国民史的分断状況を地域史の中に持ち込むだけであるため、基本的には採用しなかった。さらに、各章に地名対照表を配置することで、地域名称に関する偏りをより和らげる努力を行ってもいる。地名表記の原則や地図の見方については、はじめにの後に解説コーナーを設けているのでぜひ参照してほしい。
もう一言付け加えれば、本書は便宜的にドイツ領時代の地域区分を用いているが、もちろんそれを不変かつ固定的なものとみなすわけでもない。本書を読んで頂ければ分かるが、これらの地域は内外の要因によって時代ごとに様々に(再)編成、統合、分断などを繰り返しているのである。ここではそうした地域の可変性を組み込んだ柔軟な記述を心掛けたつもりである。

本書の構成
本書は、『旧ドイツ領全史』と銘打っているが、基本的にはその領土的変遷に焦点をしぼりながら、補足的に観光ガイドやテーマ史、人物紹介を行うという構成をとっている。
読者には本書の導入部で「歴史観光ガイド」を読んでもらうことになるが、それは旧ドイツ領諸地域の複雑怪奇な歴史の迷宮への入口に過ぎない。この「歴史観光ガイド」で旧ドイツ領の観光地や歴史的建造物、はたまた都市の紹介を読めば、読者の頭の中には数多くのクエスチョンマークが浮かぶことになるだろう。「いつからここはドイツになったのだろう」「なぜ現在のここはフランス的な街並みなのだろう」「この人物はドイツ系なのかポーランド系なのか」といった疑問だ。このような問いに答えるのが、それに続く7つの章を構成する「ドイツ領となるまで」「ドイツ領の中の――」「その後」といったいくつかの節である。特に「ドイツ領となるまで」の節においては、「領土変遷史」という切り口から、主にそれぞれの地域が近隣諸国に奪い合われた歴史に焦点を当てて叙述を行っている。これを読むことで、ドイツ領になるまでの前史を理解できるだろう。「ドイツ領の中の―」および「その後」の節においては、政治・経済・文化に対象を広げて、それぞれの地域社会の歴史を幅広く概観できるように工夫した。また各節には、豊富な地図や図像を配し、それぞれの時代、それぞれの地域についての想像力が掻き立てられるような構成を心掛けた。
各章にはコラム的に「テーマ史」と「著名出身者紹介」のコーナーも設けた。これは、それまでの節では明らかにできなかった比較的小さな事柄や対象もしくは人物を取り上げ、その歴史を詳しく紹介するものだ。読者は、ここで前節までの地域史叙述に密接に関係するテーマや人物を見出せるかもしれないし、またトリビア的な面白エピソードを発見することもあるだろう。
中・東ヨーロッパの歴史に関する知識があまりないので文章の理解に心配があるという読者のために背景となる歴史知識を簡潔にまとめた「〈旧ドイツ領〉史概観」という序章を用意した。まずこちらを読んで頂くことで、第1章以下の理解もよりスムーズになるだろう。
最後に、本書を観光ガイドブックとして利用することも可能である。「歴史観光ガイド」の項には、それぞれの史跡や建造物などの所在地が記載してあり、それを頼りに現地を観光して頂ければ、筆者としては何よりうれしい限りである。

地名表記と地図について

「旧ドイツ領」の名称や地名について、本書ではその歴史的な変遷を辿るために比較的複雑な表記法を採用している。読者のために、ここで分かりやすく説明しておきたい。

歴史観光ガイド、テーマ史、出身者紹介での表記法
・ 基本的に現在の帰属国の公用語に準拠した上で、必要な範囲でドイツ語の名称も併記している。
・ドイツ名とそれ以外の表記を明確にするため、

ドイツ語DE  ポーランド語PL  フランス語FR  デンマーク語DM
ロシア語RU  リトアニア語LT

などのマークを付している。

例 オストプロイセンの歴史観光ガイド
カリーニングラード大聖堂
RU Кёнигсбергский собор
DE Königsberger Dom

通史部分の地名表記
・ドイツ語とその他の言語の併記を基本とする。
・目に見える形での併記は、その地名の初出時のみとし、以降はその章が主題とする地域の政治状況・国家帰属を加味して優先的に表示する地名表記を決定した。実質的には常に併記されているものとする。
・前近代については、基本的にドイツ語以外の名称(ポーランド名、フランス名、デンマーク名)を優先的に表示し、ドイツ語を行政言語として用いるプロイセン国家およびドイツ国家の範疇に入った際には、ドイツ名を優先した。
・上記の原則を明示するため、ドイツ名を優先する個所では「以下、ドイツ語名を優先する」などの注記を行っている。
・ドイツ領離脱後の地名は、その帰属国の公用語に準拠した。
・ただし東部領土に関しては、第二次世界大戦後に初めてドイツ語以外での名称が付けられた都市が存在するため、その場合には「DEケーニヒスベルク(現RUカリーニングラード)」のように表記した。
・さらに分かりやすくするため、歴史観光ガイドと同様に、DE PL FR DM RU LTなどのマークを付している。

例 エルザス=ロートリンゲンの地名表記
フランス王国時代  FRストラスブール(DEシュトラースブルク)
ドイツ帝政期    DEシュトラースブルク
第一次世界大戦後  FRストラスブール

地図内での地名表記
・各章の主題とする地域内の都市名については併記を心掛けた(序章除く)。併記する場合には、左および上にドイツ名を、その右側および下側にその他の名称を記した。ただしこの上下左右の配置は何かしらの名称の優先を意味するものではなく、すべての表記が並列である。
・各章の主題から外れる地域については、その時々の政治状況・国家帰属を加味して優先的に表示する地名表記を決定した。
・ドイツ領から離脱したのちの都市名は、その帰属国の公用語に準拠した。ただしナチ占領期については、当時の抑圧的状況を表現するためにドイツ名のみを表記した。
・ただし東部領土に関しては、第二次世界大戦後に初めてドイツ語以外での名称が付けられた都市が存在するため、その場合には地名変更後にのみ「カリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)」のように表記した。

例 北シュレースヴィヒの地名表記
ドイツ帝政期まで

第二次世界大戦後

著者プロフィール

衣笠太朗(キヌガサ タロウ)
1988年、鳥取県生まれ。博士(学術)。専門はシュレージエン/シロンスク史、中・東ヨーロッパの近現代史、ナショナリズム史。静岡大学人文学部、神戸大学大学院人文学研究科修士課程を経て、東京大学大学院総合文化研究科博士課程を修了。元日本学術振興会特別研究員(DC2)。現在は秀明大学学校教師学部助教。主な業績は「上シレジアにおける「ドイツ人の追放」と民族的選別―戦後ポーランドの国民国家化の試み 」(査読論文、2015年)、「第一次世界大戦直後のオーバーシュレージエン/グルヌィシロンスクにおける分離主義運動 」(博士論文、2020年)など。

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