髙井ホアンさんによる『戦前不敬発言大全』と『戦前反戦発言大全』が完成したので、写真で紹介します。
2冊同時刊行セットで、シリーズ名は『戦前ホンネ大全』です。元々は一つの企画として始まっており、相互参照する箇所も多いので、極力2冊セットでお買いになられる事をお勧めします。
こちらが『戦前不敬発言大全』です。シンプルでありながら、怪しい雰囲気が漂ってます。
帯を取り外したところ。写真では分かりにくいですが、PP加工ではなく、上質紙という少し沈んだ質感の紙を使ってます。
袖には『戦前反戦発言大全』の紹介が。
前書き。
凡例や最初の章の扉。
さてここからが本文の紹介です。編集者個人の独断と偏見で、特に面白いと思った発言をピックアップしていきます。
「小生は日本人なれどもソビエトのスパイ」「スターリンばんざい」
などやはり共産主義者・シンパによる落書きが多いです。
左翼のビラは最初面白く感じますが記号的な定型文が多く、次第に飽きてくるのも事実……。
たまにその当時の雰囲気がわかる写真なども掲載しています。上は東京駅。
落書きや投書、ビラをただ並べただけでなく、随所に関連するコラムを設けています。これはアメリカのヴァニティ・フェアという雑誌で昭和天皇のカリカチュアが掲載された際、日米間の外交問題になった話。シャルリ・エブドやムハンマドを描いたデンマークの新聞の事件を彷彿とさせますね。
「今上天皇の金玉 天皇の金玉」
「実力のある者をドシドシ天皇にすべきだ」
「秩父宮は夫婦連れでスキーに行くなど助平や」
不敬発言というと政治的にシリアスに感じられますが、上記のようなおちゃらけ、不真面目、卑猥な発言が多いです。
秩父宮は常に昭和天皇との比較で、プレイボーイとか赤(共産主義者)だとか、色々と噂立てられていた様です。
「畏れ多くも皇后様も箱入娘の令嬢様でもお湯に入る時は丸裸」
こういう話を身近な人とした事がある人は多いのではないでしょうか?
今の人も当時の人も実は結構素朴に同じ様なことを疑問に思っていた事が分かります。
「秩父宮は病気で葉山に行って居られると言われて居るが実際の所は病気ではなくて英国大使クレルギーの娘と関係して居る」
秩父宮に関してはやはり性的に脚色されたデマがかなり多い印象。
大正天皇に関する色々な言説のコラム。
「妃殿下は全員最敬礼して居るときでもニタニタ笑って居るんだよ、白粉なんかとても濃く口紅も真赤に着けてまるで女優の様なんだよ、そしてとてもすけべーらしいんだよ」
など……高松宮宣仁親王妃 喜久が「すけべー」とやたらと同僚に連呼する山陰新聞社の伊藤正彦記者。
実はこの後「昭和十七年一月二十三日松江地方裁判所にて懲役十月の判決言渡しあり同月三十一日確定」
他愛もない軽口でも牢屋に入れられる恐ろしさ。
「天皇陛下はユダヤ財閥の傀儡だぞ」
今でもこういう陰謀論にハマる人はいますが、当時も変わらず。
天皇制や軍部が酷くて、一般市民が正しかったとは一概には言えないような、バカバカしいデマや陰謀論が蔓延っていた事にも事実として記憶しておくべきでしょう。
ある意味、現代のSNSと通じるものがあります。
当時、庶民に広範囲に信じられていた難波大助仇討の話。
昭和天皇をテロで襲撃(虎ノ門事件)した理由は、付き合っていた女性を昭和天皇に寝取られたからという荒唐無稽なデマが広まり、難波に対して同情する市民が多く発生してしまいました。
「皇后陛下の御洋装こそ戦時下に有間敷き米英思想の表現」
戦前や戦中の不敬発言と言えば、左翼共産主義者や自由主義者、宗教者によるものと思い込みがちですが、国粋主義者、右翼によるものも結構あるのが興味深いところ。
「蒋介石は世界で一番偉い人だ」
日中戦争時に日本が主要敵として戦っていたのは蒋介石の国民党。
毛沢東や共産党の存在感は限りなく薄く、本シリーズではほとんど登場せず、蒋介石に肩入れする日本人がやたらと多いのも、当時の特徴です。
「経済的に文化的に多大の援助貢献を受けた米国に対する忘恩行為」
「前後十七年間滞米生活を為しかつ今日に至るまで二十数年間対米貿易等を通じ極度の親米思想を堅持」する三島森太郎社長による発言。
予想していた以上に多かったアメリカ体験のある人による親米発言。
「俺は日本の国に生れた有難味がない、日本に生れた事が情無く思う」
まるで日本の閉塞的なブラック企業社会を呪う様な、現代にも通じそうな発言。無政府主義に感化された農民による発言という事で、結構驚きです。
「俺も総理大臣にして見ろ、もっと上手にやって見せる」
今でもお茶の間の立場から気軽にこういう事を言う自信過剰なオヤジいますよね。
「天皇くそくらえ、何年間と毒薬で俺は苦しめられている」
明らかに精神的な病を抱えている症例も。
「向うだって日本人を皆殺ししてみた所で仕方がなかろう」
体制と一緒になって戦争に熱狂する訳でもなく、逆に命がけの抵抗活動に勤しむ訳でもない、冷笑的な見方をした市民に親近感が湧きます。
ナチスドイツはユダヤ民族に対してホロコーストを試みましたが、いくら「鬼畜米英」と罵倒されたアメリカでも、全日本民族を絶滅したがっているとは、当時の人でも考えにくかったのではないかとも思います。
「米英の属国になる事を喜んで希望して居るのだ、負けよ日本!勝て米英!」
結局、戦後それにある程度近い形になり、復興を遂げ繁栄を謳歌したので、この発言者の願いは叶ったとも言えます。
敗戦後の日本を悲観して自殺してしまった人も結構いましたが、全く逆に楽観視していた人達もいたのです。
その後、『敗北を抱きしめて』が来るわけで、国が滅びるという絶望的な状況に見えたとしても、早まって自殺してしまうのは勿体無いなと学ばせられます。
「アメリカ人やイギリス人は親み易いし感じがよい」「アメリカ人はとても文化程度が高く衛生的」
戦前の親英米自由主義者と言えば吉田茂や河合栄治郎や清沢洌など、洋行経験のある知識人だけに限られていたと思いがちですが、一般人の中でもこの様に認識していた人達がかなり大勢いた様です。
「沖縄に上陸した米軍は無条件降伏した」
一方でアメリカに関する、愉快犯か願望に基づくデマも横行。
この部分のレイアウトは「東京(東部)憲兵隊資料や憲兵司令部資料からのものなので、他とは少し異なります。ここからは不敬だけでなく、反戦に関連する発言も多くなります。
「大本営の戦果発表は嘘が多い」「米側は正直に発表している」
大本営発表に全国民が騙されていたという訳ではなく、国際情勢をかなり客観的に認識していた人も相当多かったようです。
政治家や官僚だけでなく、一般市民もアメリカのラジオなどから情報を摂取して、日本の敗北を確実のものと予想していた人がかなり多かったという話は小代有希子『1945 予定された敗戦』でも書いてあった記憶があります。
国民全員が洗脳されていたという訳ではない様です。
その一方でやはり国民全員が真実に気がついていたという訳でもありませんでした。
「独逸の戦車隊が裏日本より逃亡して来た」
「「ヒットラー」は戦死と発表される前に潜水艦で亡命乗組員三○名と共に横浜に上陸したそうだ」
「ヒットラーは実際はアメリカに連れて行かれて監禁」
といった荒唐無稽なデマも流布しました。
「米国が来た処で上層の政治家を処罰するだけで国民を殺しはしない」「言論出版の自由を制限するため真の民意が上通せず」
表現の自由や民主主義の尊さを理解し、日本の敗北に対して、自暴自棄にならず、むしろアメリカによって解放される未来を期待している様子に共感してしまいます。
他力本願とも言えますが、積極的抵抗が無謀に近い状況下では、ただ待機主義的に耐え忍ぶ以外に一般市民にできる事はあまりなかったのではないでしょうか。
全ての人が斎藤隆夫や河合栄治郎などの様に正々堂々と命を懸けて戦える訳ではありません。
清沢洌の『暗黒日記』の様な、当時の国際情勢や自由主義を的確に理解していた、名も無き市井の人のボヤキや独り言、内輪向けの発言に惹かれます。
「「アメリカ」人はそんなに悪い人間ではない」
発言した大津円子はダンサーとして滞米経験あり。
当時もアメリカ人と接した事があり、彼らの快活さを皮膚感覚で認識していた滞米経験者がかなり多く、日本の敗北を期待しています。
GHQが進駐してきてから、「鬼畜米英」と言っていたのが、掌返しの様にアメリカ兵と付き合い、マッカーサー崇拝に転じたのは承知の通り。
巻末には当時の内閣や大臣の表
特高警察など警察官僚の系譜図
不敬罪などに関する法律文書
人名解説
用語解説といった付録も豊富に用意しています。これらは『戦前不敬発言大全』だけでなく、『戦前反戦発言大全』でも参考になるものなので、繰り返しますが2冊セットでお買い求めになることをお勧めします。
さて後半は不敬というより、反戦、親米発言の紹介が多くなってしまいました。またこの解説を書いている私(本書編集者)の好みや主観からピックアップしており、偏りがあるとも思います。他にも紹介したい発言は沢山あるのですが、なにしろ両方で1000以上の発言があるので、いったんここで『戦前不敬発言大全』からの紹介は区切ります。
現在既に多くの大型書店で平積みや面陳で販売してもらっている様です。是非お買い求め下さい。『戦前反戦発言大全』は別途改めて紹介します。