木村香織さんによる『亡命ハンガリー人列伝』が完成しました。写真を用いて詳しく紹介します。
昨年出版した大嶋えり子さんによる『ピエ・ノワール列伝』と趣旨が似ているので、袖に載せています。
取り上げている人物は61人で、二段組352ページ、合計41万字の大著です。最後にとっておいた目次のページ数が少なく、ぎゅうぎゅう詰めになってしまいました。
オーストリア・ハンガリー二重王国の地図。まずは土地勘を頭に入れてから、読み進める必要があります。
トリアノン条約によって、ハンガリーは多くの領土を近隣国に割譲させられてしまいます。別の国になった際に同じ場所の地名が変わるので、それの対照表です。
ハンガリーにとって特に重要な都市である現ブラチスラヴァのポジョニや現ルーマニア領土のクルージュ・ナポカであるコロジュヴァールなどについては詳述しています。
ハンガリーほど劇的に両極端に揺れ動く国もあまりないと言えるかもしれません。時代の節目ごとにガラっと変わります。
特に帯やチラシにもある通り、
「1848年革命・二重君主国解体とトリアノン条約による領土割譲
世界で2番目のソヴィエト政権・日独伊三国同盟加盟・1956年革命
に破れ続けてきた」
様に、むしろ敗北続きで、その際に支配階級や知識人達がごっそり亡命を余儀なくされます。
それぞれの時代、ハンガリー、近隣国や世界、そして日本がどういう状況だったのかを解説した年表も設けています。途中で話がよく分からなくなったら、このページに戻ってみて下さい。
本文を読み進める前に把握しておいた方がいい要素が多く、やっとここで第一章の「ハンガリー建国~オスマン帝国支配~ハプスブルク帝国支配」です。
各章の冒頭では、時代解説を詳しく記しています。変遷著しいハンガリーの歴史の大まかな流れを理解した上で、読み進める必要があります。
さて登場人物ナンバーワンは「オーストリアに反旗を翻しトランシルヴァニア公名乗るも敗北、オスマン亡命」のラーコーツィ・フェレンツ二世。
あまり馴染みのない人には奇異に思えるかもしれませんが、この頃のハンガリーはオスマンとの結びつきが強く、亡命ハンガリー人の集落までありました。
オスマン帝国の中のハンガリー人コミュニティ「テキルダー」や「ヴィディン」などを解説したコラムも。
二番目に出てくる人はコッシュート・ラヨシュ。世界史にも出てくるし、アメリカで大人気になる、この本でも最も有名な「亡命ハンガリー人」かもしれません。
各所で、ミニコラムや首脳陣のリストの一覧などを用意。豆知識が増えます。また政治的首脳と君主が一致しないことが多いので、このリストを見ることで混乱が減ります。
コッシュートが最も有名な「亡命ハンガリー人」だとすれば、この本の中で最も世界史上で有名なのはテオドール・ヘルツルではないでしょうか?
この本ではユダヤ系の人でもハンガリーで生まれ、外国で大成したり、死んだ有名人も沢山紹介しています。
1848年革命やアメリカのハンガリー移民のコラム。
さて人によっては面白くなってくるのがハンガリー・ソヴィエト共和国。
第一次大戦後に首脳にさせられたカーロイ・ミハイ。トリアノン条約で多くの領土を割譲されるも為す術なしの同情に値する人物。
クン・ベーラ。ロシア革命に続いて、世界で二番目の赤色革命が起きたハンガリー。しかし失敗に終わります。
ハンガリーは沢山の思想家を生み出しましたが、特に有名なのがルカーチ。この人も亡命ハンガリー人なのですね。ハンガリー・ソヴィエト政府でも関わりあり。
さてお次の第四章「ハンガリー王国」は「王なき王国」と呼ばれる時期で、ホルティ提督が摂政を務める時代に突入です。
ナチスドイツの圧力を受けつつ、極右民族主義やファシズムに大きく傾斜しないように、バランス外交を採るのですが、最後の方で、矢十字党のサーラシに権力の座を追いやられます。
余生をポルトガルで送りますが、難しい時代にハンガリーの舵取りをうまく担ったと評価される事もあり、そうでもないと言われる事もあり、評価が割れます。
ホルティの様に、分かりやすい英雄というよりは、板挟みに遭いながらも踏ん張り続け、報われない結果(個人の人生が)になってしまう人に惹かれます。
第一次大戦後のトリアノン条約で、ハンガリーは国土の3分の2を失いました。失地回復が国是となり、同様の立場にいたドイツの側に付いてしまいます。
本書の中でも変わり種の人物が「伊傀儡ピンドス・マケドニア公国元首に祭り上げられた反共・反ナチ・親ユダヤの貴公子」のチェスネキ・ジュラ。
ルカーチ以外にも大勢の有名亡命ハンガリー人思想家がいると述べましたが、例えばカール・ポランニー。
また弟の「暗黙知」で知られるマイケル・ポランニーやカール・マンハイムなども。
現代思想でハンガリー出身者が大きな役割を占めているのが分かります。
政治家や思想家だけでなく、例えばバルトークといった有名芸術家も輩出。
ボールペンを発明した(諸説あり)ビーロー・ラースローもハンガリー生まれのユダヤ人。
世間的に最も知られている人物はロバート・キャパではないでしょうか? この人もハンガリー生まれのユダヤ人。
第二次大戦末期までは安全(あくまでも比較的)とされたハンガリーのユダヤ系コミュニティとホロコーストのコラム。
ハンガリーは第二次大戦時は枢軸陣営でしたが、その前にアメリカに渡航・亡命していて活躍した物理学者が大勢いました。
特に有名なのがフォン・ノイマン。
それ以外にもレオ・シラードやユージン・ポール・ウィグナー、エドワード・テラー等錚々たる顔ぶれがおり、まとめて紹介しています。
「亡命」というと格好いいですが、「逃亡」とも言え、戦争犯罪者として逃亡した人達も紹介。
最終的には本国で処刑された矢十字党のサーラシ・フィレンツ。
「ビタミンC 発見し、ノーベル生理学医学賞受賞、連合国との和平の密使としても奔走」のセント=ジェルジ・アルベルト。
ここまで有名人が揃うと、ハンガリー人天才説、ハンガリー人宇宙人説がはびこるのも分からなくはありません
(注:著者も編集者もその立場を採るものではありません)。
第一次大戦後に共産政権が成立しかけたハンガリーですが、第二次大戦後はソ連の衛星国に。
亡命者ではありませんが、ハンガリー動乱後、内戦になりかねないのを「抑え込み」、その後、ハンガリーを東欧の中でも比較的自由な国として導いたカーダールなどについて。
モスクワ帰りで、ミニスターリン化したラーコシ・マーチャーシュ。ハンガリ「革命後」、ソ連に追放されます。ある意味「亡命者」とも言えます。
在ロンドン・エクアドル大使館に7年間立て籠もった上で、追放されたジュリアン・アサンジが話題になりましたが、在ブダペスト・アメリカ大使館に15年、匿われていたミンツェンティ枢機卿。
アメリカ大使館に亡命していたとも言えますし、死ぬ数年前にオーストリアに亡命します。
文学者として著名なアーサー・ケストラー。亡命者というよりは、放浪者と言ってもいいぐらい、色んな国を彷徨い、女性遍歴も豊富。
現在存命で、正確には亡命というよりは出稼ぎと言えるのですが、ジョージ・ソロスもハンガリー出身のユダヤ人。
彼は現政権から敵視されています。
サッカーファンの間では特に有名なのが、プシュカーシュ。先祖はドイツ系らしいですが、ハンガリー「革命」後、遠征地のスペインに留まり続けます。
さてここまでは「ハンガリーからの亡命者」を紹介してきましたが、ハンガリーは「亡命者」を受け入れてもきました。
特に冷戦集結の大きな切っ掛けとなったのが、「汎ヨーロッパ・ピクニック」。東ドイツ人が殺到し、西ドイツに亡命。
ハンガリー当局が東ドイツ人がオーストリア領に飛び越えるのを黙認した結果、紆余曲折を経て、ベルリンの壁が崩壊、そしてソ連の崩壊にまで繋がります。
したがって冷戦体制を終わらせた大きな引き金となったのがハンガリーを経由して「亡命してきた」人達とも言える訳で、そのコラム。
その一方で2014年ごろに、シリア内戦で逃げ延びてきて亡命申請する難民たちを受け入れず、右傾化著しいオルバーン政権のコラムも。
「ハンガリーと亡命」、多角的な考察を交えています。
著者の木村さんは「コミンフォルム派ユーゴスラヴィア人政治亡命者たちのハンガリーにおける活動─ハンガリー政府との関係と反チトー政治キャンペーン 1949年~ 1954年─」といった論文を
ロシア語で書いている、ロシア科学アカデミースラヴ学研究所研究員。
参考文献は、ロシア語、ハンガリー語、セルビア・クロアチア語、日本語など多数の原語に渡ります。
という事でとても長い紹介記事にならざるを得なかった『亡命ハンガリー人列伝』。
それでもここでは十分語り尽くせたとは言えません。
かなりの大著ですが、情報量が多く、ハンガリーの複雑な歴史を、人物に感情移入する事で、より理解しやすい作り・編成になっているのではないかと思います。
またハンガリー関係者だけでなく、東欧・近隣諸国に興味がある人、世界史全般に興味がある人にも楽しんでもらえる内容になっているはずです。
「ハンガリーと亡命ってなんで?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。「ハンガリーだからこそ亡命」と言えると思っていて、「亡命者」からハンガリーを見つめ直すと、その複雑な歴史がよく分かるのです。
(逆に『亡命ルーマニア人列伝』とか『亡命ユーゴスラヴィア人列伝』が成り立つかというとどうでしょう? 日本人でも知っている程の有名人がいるかどうか、時代を象徴する亡命者をその都度沢山輩出したかどうか、そして読み応えがあるものになるかどうか)。
そろそろ大型書店でも販売が開始されているようです。よろしくお願いします。